清水三年坂美術館は幕末・明治の七宝・金工・蒔絵・京薩摩を常設展示する日本で初めての美術館です。
金工・七宝・漆芸などの技法は、遠くシルクロード周辺の国々で生まれたものですが、日本に伝わった後、大きく進化を遂げ、独自の技法として定着しました。特に無線七宝や漆芸における蒔絵の技法は日本で独自に生まれたものです。
これらの技法は刀装具、印籠、香道具等の装飾に多用され、幕末から明治にかけて、その技術レベルや表現力は頂点に達しました。それは将軍家や大名、急速に力をつけてきた商人、明治に入ってからは皇室などの支援により、優秀なアーティスト達が育成されてきたからです。
しかし明治以降、廃刀令が出されたり、日本人の生活が急速に洋式化し、美術品に対する嗜好が西洋に向かう中で、これらの伝統的な技法に対する需要が急速に細っていきました。それに伴う職人の減少、技法の衰退は、現在にまで至っています。一方でこれらの美術品に対する海外の評価は非常に高く、現在もなお流出が続いているのは残念なことです。
当館では、帝室技芸員の作品に並んで無名作家の作品も展示します。しかし、どの作品も皆繊細で洗練された美しさを持った名品ばかりです。これらの作品を紹介することにより、日本で再び金工、七宝、蒔絵等の芸術が正しく評価され、技術的にも芸術的にも幕末、明治を超えるものが現れることを心から願ってやみません。
館長からのメッセージ Message from the Museum Director
明治の美術に魅せられて
美術館設立までのいきさつ
私が初めて明治の工芸品と出会ったのは1980年代終わり頃のニューヨークでした。その頃はまだ会社勤めをしていたのですが、出張の帰り、たまたま入ったアンティークモールのとある店のショーウィンドウの前で目がクギ付けになってしまったのです。そこに並べてあったのは幕末から明治にかけて作られた美しい印籠でした。店の中には、それまで見たこともない明治の工芸品の数々が所狭しと置かれていました。それらの美しさにしばし我を忘れて見とれ、気が付くと印籠を3本買っていました。その興奮を今も忘れることはできません。ホテルに帰ってから、買った印籠を繰り返し眺めてはうっとりしていました。「この世にこれほど細密で美しい工芸品があったのか」という感動でした。
その時以来、ニューヨークやロンドンに行くたびに幕末・明治の工芸品を購入するようになりました。また、サザビーズやクリスティーズといったオークション会社のカタログを取り寄せ、落札するようにもなりました。集めるうちに気がついたことは、日本国内には幕末・明治の工芸品を扱っている美術商がないどころか、それらを本格的に展示している美術館さえ存在していないということでした。明治以降、日本は急速に欧米の文化を取り入れ、生活スタイルも次第に欧米化しました。日本人の美術に対する関心も、日本の伝統的なものより印象派の絵画や西洋骨董などに集まり、幕末・明治の工芸品に関心を持つ人がほとんどいなくなってしまったのです。
また、たとえ関心があったとしても欧米人ほど高く評価しないため、市場に出た名品は次々と海外に流出していきました。こういうことが明治以降延々と続いてきたために、日本の美術市場にはガラクタばかりが出回り、幕末・明治の工芸品に対する評価も益々下がってしまったのです。一方、欧米の美術館やオークションで一番人気のある日本美術といえば浮世絵や陶磁器をはじめとする幕末・明治の美術工芸で、日本とは対照的です。
ちょうど収集品が置き場所に困るほどの膨大な数になった頃、会社の仕事も忙しく、買った作品をゆっくり眺めている時間もなくなってしまいました。それではいっそのこと日本で幕末・明治の工芸品が見られる美術館をつくったら、と一念発起して会社を辞め、2000年の開館にいたったというわけです。
なぜ、幕末・明治の工芸品が素晴らしいのか
幕末・明治ほど工芸品が技術的にも芸術的にも高度な水準になっていた時代はなかったのではないかと思います。
江戸時代、将軍家や大名家はお抱えの蒔絵師や金工師に調度や武具などをつくらせていました。太平の世が続くなか、婚礼道具には贅を凝らした蒔絵が施され、刀装具ですら実用性よりも装飾性の高さが求められるようになりました。さらに商いを営む町人が力をつけ、洒落た印籠や刀装具、喫煙具などを求めるようになりました。安定したパトロンの存在に新たな需要層も加わり、それらの幅広い注文に応えるために、金工師や蒔絵師といった職人たちは高い技術力と優れたデザイン力を育んでいったのです。
明治維新を迎えて幕藩体制は崩壊し、職人たちは一時的に需要を失うことになります。そこで明治政府は、その失業対策と殖産興業政策を兼ねて、職人たちに外貨獲得のための輸出用の作品をつくらせました。それらの多くは欧米人の好みに合わせて作られ、芸術的に評価の低いものが多かったのも事実です。しかし、欧米文化の影響を受けた新しい感覚の作品も多く現れます。また、その当時、国内需要も意識して作られた帝室技芸員をはじめとする一流の作家たちの作品は、非常に洗練された芸術性の高いものでした。その後は日本人の嗜好が欧米文化に傾斜してゆき、蒔絵や金工に対する国内需要が減少し、衰退の一途をたどりながら今に至るわけです。
美術館に込めた想い
当館では宮内省(現在の宮内庁)や国内の数寄者向けにつくられた一級の作品、海外向けにつくられた中でも芸術的価値の高いものを選んで展示しています。
技法で分ければ金工・漆工・七宝・京薩摩・彫刻・刺繍絵画、用途でみれば調度品・刀装具・装身具など。明治時代を中心に、幕末から大正時代頃までを含むこれらの工芸品は、どのジャンルをとっても今や再現不可能で、高度な技術で作られた細密・繊細なものばかりです。また、作品だけでなく、工芸技法の説明パネルや道具・材料・工程サンプルも展示しています。これらの展示をとおして、幕末・明治の工芸の魅力を多くの人に知っていただけたらと思っています。
いつの日か、明治を越える工芸品がつくられるようになる日が来るのが私の夢です。そのためにもアーティストを目指す人たちが当美術館にもっともっと足を運んでくれることを願っています。
館長 村田理如